令和元年9月 松本教会長のことば

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     9月の松本教会長のことば

     

     朝夕少しずつ涼しくなり、秋の訪れを感じる日も増えてきましたが、皆さまお元気でおすごしでしょうか。気温の変化が大きい時期ですが、お互いさま健康に留意し、秋を迎えてまいりたいものです。

     

     

     さて、9月は脇祖さま報恩会、10月は開祖さま入寂会、11月は開祖さま生誕会と両祖さまへの報恩感謝を深める3ヶ月がはじまります。教えによって救われた喜びを多くの人にお伝えすることで開祖さま、脇祖さまへの感謝を表す「報恩感謝の布教月間」と教えていただいております。

     

     今月は「『違い』があるからこそ」というテーマで会長先生からご法話を頂戴しました。『古今和歌集』に収められている「世の中はかくこそありけり吹く風の 目に見ぬ人も恋しかりけり」(吹きわたる風のように、顔を見たこともない人をも恋しいと思うのが、世の中というものなのですね)という紀貫之の恋歌をご紹介くださり「ある方によると、この歌は、私たちがなかなか気づかない一つの『真実』を歌いあげているというのです。

     

     その『真実』とは、人はみな心の根底において、この世に存在するすべてのものを愛(いと)おしいと感じ、慈(いつく)しんでいる、ということです。」と述べられました。直接的ではないものをも、恋しく思ったり、愛しく思う――それは私たちの本質が仏性であり、すべては仏のいのちの現われであるという一体感があるからこそ、そのように感じるということでありましょう。

     

     しかし、それが「真実」だとしても、現実にはそうとはいえない状況が多々あります。会長先生は「考え方やものの見方の違いが原因で人と言い争ったり、いがみあったり、交流を断ったり、国同士が戦火を交えたり……。残念なことに、宗教間の対立も現実の問題として存在します。多くの人が、他人との違いを受け入れられずに苦しみ、悩み、無益な争いまでしているのです。」とお示しくださいました。

     

     身近なところでいうと、最近特にニュースで多く取り上げられている「あおり運転」でありましょう。車線変更やブレーキを踏むタイミングが自分の感覚と違ったりすることで、その違いを受け入れられずに腹を立て、危険な運転で相手の車を停め、暴力にまで発展するケースも多いようです。挙句には他人を巻き込んで死亡事故まで起こしています。そのような不和は家庭の中にも起き得ることで、家族であっても意見の食い違いや主張がぶつかり合い、ケンカに発展することもあるのではないでしょうか。本来、私たちには他者を慈しみ、愛おしく思う心がありますが、現実には他の価値観を受け入れられずにいがみあったり、争いを起こしているのです。

     

     そうした中で、私たちが身近でできることとして、会長先生は「他者との違いを違いとして認めて受け入れることですが、それにはまず、『私の胸の内にも、この世のすべてのものを愛おしく感じ、慈しむ心がある』と自覚することです。すると、人と自分に違いがあることの尊さも見えてくるはずです。」と教えてくださっています。

     

     では、自覚をするにはどうしたらよいのでしょうか。私たちは一人ひとりが異なる因と縁によって存在しています。例えば、双子として同じ親から生まれ、同じ教育を受けて育ってきたとしても、出会う縁は違っているはずです。違う環境で育てば考え方やものの見方が違うのも当たり前なのです。会長先生は「違いを理由に対立したり、排除したりするのは、自分の個性を否定することと同じです。」と述べられています。

     

     自分から見て他の人は違います。同じように他の人から私を見たら違うのです。つまり、因と縁の出会いによって育まれてきたその人の個性を否定するということは、そのまま自分の個性を否定することになるということです。それは宗教も同じで、世の中には色々な人がいて、たくさんの個性があるのですから、色々な宗教や教えがあるのは当たり前なのです。会長先生は「この地球に生きるすべての人に安心を与えるため、宗教・宗派のそれぞれが個性を発揮しつつ、お互いに補い合っているともいえます。」と述べられ、続けて「宗教をそのように見ると、人を安心に導くという慈愛の一点において、宗教は一つに結ばれていることがわかります。

     

     そして、宗教によるその慈愛のはたらきかけによって、私たち自身も、心の底に具(そな)わる『他を愛おしみ、慈しむ心』を掘り起こされ、それを実践せずにはいられなくなる――仏教でいえば、それが菩薩の生き方です。」とお示しくださいました。ここに本会の「一乗の教え」があらゆる宗教の違いを越え、互いを認め合い、協力し合って大調和の世界を教えるものであることの核心を説かれます。そして、自分の内にある慈愛の心を自覚するには、宗教によるそのはたらきかけ、即ち菩薩行実践にあると明らかにされるのです。

     

     最後に会長先生は「法華経の『薬草諭品』に『如来の説法は一相一味なり』とありますが、宗教に共通する目的と、私たち一人ひとりの胸底(むなそこ)に宿る心を考えあわせると、この宇宙船地球号の乗組員はみな、安らぎと幸せを得ることを約束されているという意味で、『宇宙の真理は一相一味』ともいえます。私たちには、それを現実の世界で証明するお役があるのです。」と結ばれました。

     

     宗教の「慈愛によって安心に導く」という目的、即ち「本仏の願い」と私たちの胸底に宿る「この世のすべてのものを愛おしく思い、慈しむ心」即ち「仏性のはたらき」を考えあわせると、私たちは救われるようになっているということです。「それを現実の世界で証明するお役」とは、多くの人に教えをお伝えし、安らぎと幸せを得ていただくように、お導きをさせていただくことです。

     

     9月10日は脇祖さまの報恩会です。慈愛の道を歩まれた脇祖さまに倣って実践をし、また、今月からはじまる報恩感謝の布教月間を通して、お互いさま精進してまいりましょう。

    合掌


    大阪教会雅楽会 練習日程表

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      教務部儀式 大阪教会雅楽会 

       

      世界無形文化遺産に登録されている 

      悠久の調べ雅楽を始めませんか! 

      むずかしくはありませんよ 

      どなたでも参加出来ます 

      お待ちしております。

       

      ※写真は今年の大阪天満宮万灯行進宮入奉納

       

      2019年行事日程

       

      9月 8日(日)10〜15時 

      9月14日(土)10〜15時 

      9月21日(土)10〜15時  

      9月28日(土)10〜17時 本部講師の指導

      9月29日(日) 9〜15時 本部講師の指導 

      10月5日(土)10〜15時 

      10月20日(日)10〜15時 

      10月27日(日)10〜15時 

       

       

      ※都合により日時の変更をする場合があります。確認の上参加してください。練習場所は1階黒板をご覧ください。担当:田(孝)


      2019 秋の彼岸会

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        秋の彼岸会

         

        〇令和元年9月22日(日)

         9:00〜12:00

        〇大阪教会2階法座席

        〇式次第

        献花・瞑想・読経供養(経典一巻・三部経16)・回向文奏上・導師焼香・体験説法(門真)・講話(教会長) 

         

        ※式典修了後支部ごとの法座があります。 

         

         秋分を中日(なかび)に、前後三日ずつの七日間が秋の彼岸会です。彼岸は古代インドの言葉・サンスクリット語のパーラーミーター(波羅蜜多・はらみた)の訳「到彼岸」に由来する言葉です。その意味は迷いや境遇の変化に惑わされている現実世界の此岸を離れ、迷いや悩みのない安らかな世界の彼岸に到るということです。

         

         お彼岸にはご先祖さまへの報恩の供養や墓に詣で、ご先祖さまを偲び、私たちを見守ってくださっていることに感謝を捧げます。数えきれないご先祖さまによっていのちが受け継がれ、今あるのが「私」です。その尊いいのちを輝かせていくことが、ご先祖さまへの何よりの供養なのです。


        令和元年9月 会長先生法話

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          ※9月1日朔日参り(布薩の日)式典にて大阪教会松本教会長より教団月刊誌「佼成」9月号『会長法話』から今月の信仰生活の指針を頂きます。

           

          会長法話    

           

          「違い」があるからこそ   

                   

                                庭野日鑛 立正佼成会会長

           

          み ん な を 愛 お し む 心

           

           紀貫之が、『古今和歌集』に収めた自身の恋歌の一つに、次の歌があります。

          「世の中はかくこそありけれ吹く風の 目に見ぬ人も恋しかりけり」(吹き渡る風のように、顔を見たこともない人をも恋しいと思うのが、世の中というものなのですね)

           

           これを恋歌の歌として読めば、それはそれで理解できます。ところが、ある方によると、この歌は、私たちがなかなか気づかない一つの「真実」を歌いあげているというのです。その「真実」とは、人はみな心の根底において、この世に存在するすべてのものを愛おしいと感じ、慈しんでいる、ということです。

           

           しかし、現実にはそうとはいえない状況があちこちで見られます。考え方やものの見方の違いが原因で人と言い争ったり、いがみあったり、交流を断ったり、国同士が戦火を交えたり・・・・・。残念なことに、宗教間の対立も現実の問題として存在します。多くの人が、他人との違いを受け入れられずに苦しみ、悩み、無益な争いまでしているのです。

           

           そうしたなかで、私たちが身近でできることは、他者との違いを違いとして認めて受け入れることですが、それにはまず「私の胸の内にも、この世のすべてのものを愛おしいと感じ、慈しむ心がある」と自覚することです。すると、人と自分に違いがあることの尊さも見えてくるはずです。

           

          「違 い」が あ る 意 味 と 尊 さ

           

           私たちは、一人ひとり異なる因と縁によって生まれてきています。また生まれてからも、一人ひとりがそれぞれ独自の縁にはぐくまれて、「私」という個性があります。

           

           ですから、人種や容姿はもとより、人と考え方やものの見方が違うのは当然で、違いを理由に対立したり、排除したりするのは、自分の個性を否定することと同じです。

           

           宗教の世界においても、人それぞれの縁に随って救われる道が異なるのは自然なことで、キリスト教の教えで救われる人もいれば、イスラム教や仏教の教えで救われる人もいるのです。それは、安らぎを求める人が、信じ仰ぐ教えがたくさんあるということです。この地球に生きるすべての人に安心を与えるため、宗教・宗派のそれぞれが個性を発揮しつつ、お互いに補いあっているともいえます。

           

           宗教をそのように見ると、人を安心に導くという慈愛の一点において、宗教は一つに結ばれていることがわかります。そして、宗教によるその慈愛のはたらきかけによって、私たち自身も、心の底に具わる「他を愛おしみ、慈しむ心」を掘り起こされ、それを実践せずにはいられなくなる―――仏教でいえば、それが菩薩の生き方です。

           

           私たちには、ふと自他の違いを感じて、人にやさしくできないときもあります。そういうとき、外に向いた目を自分の心の内側に向けると、違いを受け入れやすくなります。

           

           私は、国際会議の席などで、意見の異なる人に出会ったときに、よく「私にはない考えをもっておられて、すばらしいな」と感じます。そして、その違いをとおして、まだまだ知らないことばかりの自分であると教えられるのです。自分の意見を声高に主張し、違いを盾に角突きあわせるよりも、違いを認め、受け入れて相和し、その和の醸成をお互いに喜びあえるほうが幸せではないでしょうか。

           

           法華経の「薬草諭品」に「如来の説法は一相一味なり」とありますが、宗教に共通する目的と、私たち一人ひとりの胸底に宿る心を考えあわせると、この宇宙船地球号の乗組員はみな、安らぎと幸せを得ることを約束されているという意味で、「宇宙の真理は一相一味」ともいえます。私たちには、それを現実の世界で証明するお役があるのです。


          令和元年9月 大阪教会主要行事

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            9月の大阪教会主要行事

             

            1日(日)9:00〜 朔日参り 布薩の日(夜間:なし)

                       体験説法(守口) 他

             

            4日(水)9:00〜 開祖さまご命日・ミニ説法 他

             

            10日(火)9:00〜 脇祖さま報恩会 

                        〜本部よりインターネット中継〜

             

            15日(日)9:00〜 釈迦牟尼仏ご命日

                  10:00〜敬老会:説法 落語

             

            20日(金)9:00〜 一斉布教デー

             

            22日(日)9:00〜 秋季彼岸会

             

            ※家庭修養日:7日(土)・11日(水)・16日(月)・26日(木)

             館内整備日:5日(木)・6日(金)・23日(月)


            編集者コメント10

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               大阪教会公式ホームページをご覧の皆さま、こんにちわ。WCRP第10回世界大会にジャパニーズトラスティーズの一員として参加させて頂きました。永続的且つ求心力のある平和を築くための議論が毎日行われました。

               

              “テーマ”

              「慈しみの実践

                    共通の未来のために」

               

              〇ドイツ バイエルン州 リンダウ

              〇8月18日〜25日(20日〜23日)

              〇125ヵ国 約1000名

               

               


               


              2019 天神祭万灯行進宮入奉納 報告

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                天神祭万灯行進宮入奉納

                 

                 大阪教会では、先月23日に日本三大祭りの一つである天神祭の前夜祭に、立正佼成会として万灯行進の宮入奉納をさせていただきました。    

                 

                 おかげさまで天候にも恵まれ、感動・感激あふれるすばらしい行進でございました。受入れてくださった大阪天満宮さまはじめ、地域住民の皆さま、行進に参加してくださった信者さんや支教区内の教会の皆さま、応援してくださった皆さまに深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。(令和元年8月 松本教会長のことば より抜粋)

                 

                 

                 

                 

                 

                 







                 


                令和元年8月 松本教会長のことば

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                   8月の松本教会長のことば

                   

                   夏本番の天気が続いておりますが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

                   

                   大阪教会では、先月23日に日本三大祭りの一つである天神祭の前夜祭に、立正佼成会として万灯行進の宮入奉納をさせていただきました。おかげさまで天候にも恵まれ、感動・感激あふれるすばらしい行進でございました。受入れてくださった大阪天満宮さまはじめ、地域住民の皆さま、行進に参加してくださった信者さんや支教区内の教会の皆さま、応援してくださった皆さまに深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 

                   

                   さて今月は、会長先生より「自分の『宝』を輝かせる」というテーマでご法話を頂戴しました。

                   

                   私たちは肉体という形を得るとそこに執着してしまい、それにとらわれて人と比べて卑屈になったり、はたまた驕慢(きょうまん)になってしまったりするわけですが、会長先生は「仏教では、人と比べる見方がものごとを見る目をいかに曇らせているかを教えています。仮に人をうらやむ気持ちが生まれても、それを必要以上の欲望や無益(むえき)な憎しみに発展させないよう心を制御(コントロール)することが大切なのです。」とお示しくださり、さらに「最近では、劣等感を抱くあまり生きる自信を失(な)くし、『自分には、生きている価値がない』とまで思い込んでしまう人が増えているように思います。」と述べられ、法華経の「信解品」にある「長者窮子の譬え」に登場する「窮子」のように、自信をもてないという人がふえているのはなぜかといえば、「欲望を刺激する情報が過剰にあふれるなか、経済的な格差や人生において得るものが多いか少ないかなどを、多くの人が容易に推し量れる時代だからではないでしょうか。」と教えてくださいました。

                   

                   人それぞれ違うところがあるのは当たり前のことです。しかし、表面的な違いにとらわれ、自分と人とを比べて卑屈になり、新しいことにチャレンジするのではなく、「いかに失敗しないように生きるか」ということに力を使っている人が多くみられます。仏さまの教えを知らずにいて、自分の思い通りにいかないと「何もかもうまくいかない」とか「何をしてもダメだ」と卑屈になるのです。しかし、本来の自分の本質は仏性であり、仏と一体なのだ、これが私の「宝」なのだということを悟り、輝かせることができれば、卑屈という苦悩から救われることができると仏教は教えているのです。

                   

                   では、どうしたら仏性を自覚し輝かせることができるのでしょうか。会長先生は「劣等感は、向上心の裏返しといいます。胸の奥底に『よりよく生きたい』という願いがあるからこそ、時に口惜しい気持ちも芽生えてくるのです。ただ、自分が不幸なのは世の中のせいだとか、他人のせいだといった思いこみにとらわれると、成長の糧(かて)となるはずの劣等感が愚痴(ぐち)の種に止(どど)まり、向上心に結びつかないのではないでしょうか。」とお示しくださいました。

                   

                   人は少なからず卑屈な心をもっています。そうすると、人から何か自分にとって不都合と思えることをされたとき「なんだ、あの人は!」と責める気持ちがおきますが、その現象や出会いの中に仏さまの慈悲のはたらきを観じ、仏さまは私に何を教えよう、悟らせようとしてくださっているのだろうか、と受けとめることができれば、卑屈になったり、劣等感を抱くことはなくなるのです。

                   

                   そこでまず大事なのは「信じる」ことです。頭で理解しようとするのではなく、「信」で受けとめるのです。すべての現象は仏さまの説法、仏さまのはからい、「すべては自分」を成長させてくださる仏さまのお慈悲と信じ、仏さまに守られている自分を感じていくことです。

                   

                   もう一つは、「まず人さま」の心で人のために何かをしていくことです。今までの辛い経験や苦しい体験が、この人をお救いするためにあったのだと感じられると、これまでの人生はすべて自(みずか)ら誓願してきたものだったのだと思えてきます。すると、今までの過去や、これからの人生が輝いてくるのです。つまり、主体的に菩薩行をしていくことで、人の役に立っている実感を得られることが、卑屈から抜け出すコツといえるでしょう。

                   

                   会長先生は「自らの『宝』に気づいて喜ぶだけではなく、まだそのことを知らない人に自分の気づきをお伝えして、その人の『宝』を照らす触れあいをしていくと、自分の『仏性』がよりいっそう光り輝くことを教えるのです。」と「信解品」をとおして教えてくださっています。「自分の気づきをお伝えして」ということは、この教えによって救われた体験や、学んだことを人さまにお伝えするということであり、「布教・導き」をさせていただくということでありましょう。

                   

                   また、「その人の『宝』を照らすふれあいをして」ということは、こちらが輝いていないと相手の「宝」は照らせないということであり、まず、自分の仏性を輝かせることが大事なのです。相手の幸せを心から願い、この教えによってどうか救われていただきたいと一心に念じてふれあうことで、自分の仏性は輝いてくるのです。その輝きで相手の仏性を照らし出していくと、さらに自分の仏性がよりいっそう光り輝くということでありましょう。

                   

                   結びに、会長先生は「仏の教えを信じ、理解することが『信解』ですが、人はみな等しく『仏性』という宝をもっていると『信解』し、お互いさま、自信を持って人生を歩んでまいりましょう。」とお言葉をくださいました。自分も含め、すべての人が仏性の現われだと信じ、その尊い「いのち」を拝んで、自信をもって布教させていただきましょう。

                   

                   8月はお盆の月です。ご先祖さまに思いを馳せ、いのちのつながりに感謝し、布教・導きを通して自分の「宝」がよりいっそう光り輝くよう、お互いさまに精進してまいりましょう。 合掌                


                  大東支部“発”プログラム

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                    大東支部“発”プログラム 

                     

                    〈テーマ〉

                    やったるで! 55(ゴーゴー)チャレンジ

                     

                    〈サブテーマ〉

                    やる? やらん? やってみる!?

                     

                    ○日時:2019年7月7日(日)

                        11時〜14

                    ○場所:大東市民会館・キラリエホール

                    ○参加数:156人

                     




                     オープニングは、地元衆の和太鼓演奏で盛り上げて頂きました!! つづいてのミニ運動会(パン食い競争・玉入れ・リレー)や模擬店(うどん・炊き込みご飯・フランクフルト・たこせん)で笑顔一杯!! 「支部のアルバム」のスライド放映、「龍神マグヤー」ショー、抽選会等で盛り沢山の一日でした。老若男女が集い、喜んで頂きより一層「大東支部の“絆”」がつよまった“発”プログラムとなりました。


                    令和元年8月 会長先生法話

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                      ※朔日参り(布薩の日)式典にて、大阪教会松本教会長より教団月刊誌「佼成」8月号『会長法話』から今月の信仰生活の指針を頂きます。

                       

                      会長法話    

                       

                      自分の「宝」を輝かせる   

                       

                                庭野日鑛 立正佼成会会長

                       

                      自 信 を も ち に く い 時 代

                       

                      「よそはよそ、うちはうち」――ほかの人や家と比べて、自分やわが家にないものを子どもがねだったときに、親の口から出るのは、きまってこのような言葉でした。一人ひとり、それぞれ独自の人生を歩んでいるのですから、人と自分を比べる必要はないということを、わかりやすく表現した言葉とも受けとれます。 

                       

                       しかし、人をうらやみ、ときには劣等感を抱くことも、人間の自然な感情かもしれません。口惜しさをばねに努力を重ね、能力を発揮して、向上をめざす人も多いのです。

                       

                       仏教では、人と比べる見方がものごとを見る目をいかに曇らせるかを教えています。仮に人をうらやむ気持ちが生まれても、それを必要以上の欲望や無益な憎しみに発展させないよう、心を制御(コントロール)することが大切なのです。

                       

                       一方で最近では、劣等感を抱くあまり生きる自信を失くし、「自分には、生きている価値がない」と思いこんでしまう人がふえているように思います。

                       

                       法華経の「信解品」に「長者窮子の譬え」という話があります。そこに登場する「窮子」も、そのような一人でしょう。放浪生活を送っていた自分を雇ってくれた長者に信頼され、金銀財宝を収める倉の管理まで任されながら、それでもなお、「自分はとるに足りない人間だ」と思いこんで、卑屈な思いを拭いきれないのです。

                       

                       いま、この「窮子」のように自信をもてないという人がふえているのはなぜかといえば、欲望を刺激する情報が過剰にあふれるなか、経済的な格差とか、人生において得るものが多いか少ないかなどを、多くの人が容易に推し量れる時代だからではないでしょうか。

                       

                      仏 性 を 輝 か せ る

                       

                       たとえば、「人よりも貧しいと、不幸でつらい」という価値観があるとします。この価値観はじつに不確かなものですが、仮にそれが自信や希望を失わせる要因の一つだとしても、こうした価値観に基づいて「自分は不幸だ」と決めつけているのは、ほかでもない自分自身です。人生は「縁」によってどのようにも変化し、固定したままで存在するもの何一つとしてないのです。それなのに、自分にそうしたレッテルを貼って苦しみ、自信や希望を失くしてしまっては、授かった命がもったいないと思います。

                       

                       劣等感は、向上心の裏返しといいます。胸の奥底に「よりよく生きたい」という願いがあるからこそ、ときに口惜しい気持ちを芽生えてくるのです。ただ、自分が不幸なのは世の中のせいだとか、他人のせいだといった思いこみにとらわれると、成長の糧となるはずの劣等感が愚痴の種に止まり、向上心に結びつかないのではないでしょうか。

                       

                       さて、先の「信解品」の「窮子」は、長者の臨終間際、枕辺に集まった人びとの前で、長者からこう告げられます。「この男は、幼いころ行方知れずになった私の子です。私の財産は、すべてこの子のものです」と。これは、卑屈な思いの「窮子」が自分の宝に気づかされる瞬間ですが、この言葉には、「すべての人が仏の子であり、仏と一体の仏性そのものです。だから、自信をもってその自分の宝(仏性)を輝かせなさい」と伝える真意がこめられています。

                       

                       そして、自らの「宝」に気づいて喜ぶだけではなく、まだそのことを知らない人に自分の気づきをお伝えして、その人の「宝」を照らすふれあいをしていくと、自分の「仏性」がよりいっそう光り輝くことを教えるのです。

                       

                       仏の教えを信じ、理解することが「信解」ですが、人はみな等しく「仏性」という宝をもっていると「信解」し、お互いさま、自信をもって人生を歩んでまいりましょう。

                       



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