令和二年 東教会長のことば(3)

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    東教会長のことば(3)

     

    大阪教会のみなさま(*^^*)“ごきげんよう”

     

     日々ありがとうございます。

    やはり、この言葉でスタートですね。“精進できる感謝を込めて…”

    本日は創立記念日、みなさま、誠におめでとうございます。

     

     私たちは目下、新型コロナウイルスの感染拡大を避けるために、教会参拝をはじめ、いつも楽しみにされておられる法座や手どりをはじめ、さまざまな修行を控えてご協力をいただいており、心から感謝申し上げます。

     

     一刻も早い終息と感染された方の早期回復を心より祈念しております。みなさまもくれぐれも手洗いの徹底、人混みを避けるなどご自愛ください。

     

     さて、創立記念月の「佼成」3月号のご法話を拝読しますと、私たちが創立記念をお迎えする一番大切なことは、“法華経を学ぶことの有難さ”、“支え続けてくれるサンガの有難さ”をあらためて実感することだと確認させていただきます。

     

     創立当初は、今のような建物も、式典も何もなく、わずか30数名のサンガでスタートされました。唯一あったのは、“信仰的な人と人との交流のなかで自らを磨く”こと、“一人でも多くの方に教えを知っていただこう”(立正)という思いだけで、今のような佼成会を築き上げられたのです。力の限りを尽くしてつくってくださった先輩方に、感謝を申し上げたいと思います。

     

     

     そうしたご恩にお報いするためにも、年頭のお言葉通り「私の居る所が即ち道場である」という志をもって、創立の精神を確認して、教えを実践して参りたいと思います。

     

     本日は、誠におめでとうございます。  合掌

     


    令和二年 東教会長のことば(2)

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      東教会長のことば(2)

       

      大阪教会のみなさま“ごきげんよう”

       

       日々ありがとうございます。お元気でお過ごしでしょうか。

      創立82周年をお祝いする3月をお迎えしました。創立月を迎え、今日の礎を築き下さいました、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食を惜しまぬご尽力に感謝を申し上げたいと存じます。

       そして、私たち自身が信行に励むことで、ご恩にお報いして参りたいと思います。

       

       佼成会では、「日々ありがとうございます」と、あいさつを交わします。私は本当に美しい言葉だと感じますが、実は信行に励む言葉だったんです。ご存知でしょうか。

       開祖さまは、このようにあいさつを交わすことで、「お互いさま、正しい生き方をめざして日々、努力精進できる感謝を表す」「そうした心をもつ人の集まりのなかで過ごしていると、<まず人さま>という気持ちでふれあう時の言葉づかいや、起きた出来事を自分の心や行いに照らして受けとめることの大切さを肌で感じることができる」とお話し下さいました。

       

       「佼成」3月号のご法話では「法華経を学ぶことで感謝に目覚め」「仏の教えを学ぶ私たちは、『満足できる幸せ』のただなかにいるといってもいいかもしれません」と、創立の意義と今の私たち自身の境遇をより深く確認して下さっています。

       3月は、そのような感謝と喜びを、お互いに改めて感じて過ごして参りたいと思います。

       

       日頃のご健康にご注意いただいて、元気溌剌に信仰生活をお送りいただけますよう祈念しております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

       

      ※「ごきげんよう」は「あなたのご健康とますますのお幸せを祈っています」という意味が込められた言葉です。美しい日本語ですね。 合掌                      

       


      令和二年3月 会長先生法話

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        会長法話 

         

        満足できる幸せ

         

        庭野日鑛 立正佼成会会長

         

        欲 を は な れ る と

         

        「欲深き人の心と降る雪は 積もるにつけて道を忘るる」

         季節は暖かな春を迎えようとしているなか、寒々しい響きの道歌ですが、この歌のとおり、欲の皮が張っていると、人は、人として歩むべき道をいつしか見失ってしまいます。

         

         今月、創立八十二周年を迎える本会を、開祖さま(庭野日敬)とともに開いた脇祖さま(長沼妙佼)は、逆に、常々「欲をはなれると徳がくる」と話していたそうです。

         

         欲は自然のものですから、生きるうえでは必要なのです。ただ、必要以上に欲が深い人は、「あれがほしい」「これも自分の思うとりにしたい」と私利私欲にとらわれるあまり、人への思いやりが二の次になりがちです。心が「我」=「自分のこと」でいっぱいの状態だからです。

         

         ところが、何ごとにつけ、ほどほどのところで満足できる人は、人のことを考えるゆとりもありますから、たとえば好物が手に入っても「一人で食べてはもったいない。人にも分けてあげよう」という気持ちが自然に湧いてきます。そもそも、ほどほどをわきまえている人にとって、必要以上のものは欲しないといえましょう。

         

         そうした人間らしい思慮や、他を思いやる気持ちが行動となってあらわれることを、脇祖さまは「欲をはなれると徳がくる」といったのだと思います。それは、人間がもともともっている徳分が、自然に滲み出るということです。

         

        感 謝 こ そ

         

         法華経の「見宝塔品」に、法華経の教えを学び、実践する人は、ほんとうの意味で精進する人であって、「是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く」とあります。

         

         辞書によれば「煩悩を振るい落とし、払い除く」のが「頭陀」の意味で、一日一食を守るとか、ボロ布で作った衣を着るなど、そのための精進が「頭陀行」です。

         

         頭陀行といえば、「頭陀第一」と呼ばれた魔訶迦葉が思い浮かびます。魔訶迦葉は「衣や食や寝床などに、いっさい文句をいわず、満足する者である」と伝えられています。

         

         現代の私たちには、実践するのが難しいように思えますが、「何ごとに対しても、不足を口にしないで満足する」というのは、授かったものに感謝して、自分勝手な「よしあし」をいい立てないということです。それに、頭陀行をごく簡単に「小欲知足」と説明する文献もありますから、欲を少なくして足ることを知る生き方、与えられたものをできる限り素直に受け容れて、感謝のうちに暮らすことは、私たちが日ごろから心がける姿勢と重なるものです。

         

         また自分自身の容姿などについて、それがなんであれ「よしあし」をいうのは、「自分の命に対する不殺生戒をおかすことになる」と学んだことがあります。その意味では、何ごとにも「よしあし」をいわない生き方は、先に述べた経文の「戒を持ち」ということにも一致します。しかも、それができるのは、法華経を学ぶことで感謝に目ざめるからだと受けとめられます。だとすると、法華経をとおして仏の教えを学ぶ私たちは、いつでも「満足できる幸せ」のただなかにいるといってもいいのかもしれません。

         

         しかし、そのように理解していても、ものごとを感謝で受けとれないときがあります。そうしたときには、合掌・礼拝などの「形」から入ることも大切です。

         

         たとえば、食事の際に「いただきます」といって合掌するのは、その習慣によって、食事が摂れることや食材の命、さらには生きていることへの感謝の心が育つともいえるのですから。

         

         生きていくなかで、授かったすべてに合掌する―――そこに感謝と喜びがあり、ほんとうの満足と幸せがあるのです。


        令和二年 東教会長のことば(1)

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          東教会長のことば(1)

           

          大阪教会・会員のみなさまへ

           

           日々ありがとうございます。

          本日より、新型コロナウイルスの感染拡大を避けるために、多くのみなさまがお集まりになる活動を中止または延期させていただくことになりました。

           どうぞ日頃のご健康にご注意いただいて、元気溌剌に信仰即生活をお送りいただけますよう祈念しております。

           また、国内で罹患されている方が増えております。ともに心からご快癒を祈念させていただきたいと思います。

           

           「佼成」2月号のご法話のなかで、信仰者としての救いの原点を次のようにお話しくださいました。

          「自分ではどうにもならないことを、一つ一つ受け容れながら、そのつど前向きな価値をみつけて生きていくことが大切」(p16)で「その繰り返しが人生なのでしょう」(同)と励まして下さいます。

           そして「ささやかでも、あなたにしかできないことを喜びとして、それがまわりの人に喜ばれる、(中略)それが生きる意味や生きがいの核心ではないでしょうか」(同)と信仰者の姿勢をお教え下さいます。

           

           まもなく創立記念の月をお迎えします。

          会名の「」に刻まれている通り、<信仰的な人と人との交流のなかで自らを磨くのが創立の精神です。

           『尋常…つね日ごろをたずねて』とご指導いただく本年、どうぞ、自らと共に人さまの身心の安否をお尋ねしながら、私たち一人ひとりの信行に励んで参りたいと思います。

           どうぞよろしくお願い申し上げます。

           

          ※中止・延期の活動につきましては、各支部にお問い合わせ下さいますようお願い致します。合掌


          令和二年3月 大阪教会主要行事

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            3月の大阪教会主要行事

             

            ※新型コロナウィルス対応について

            基本的に多くの方々が集まる活動を避けることになります。

             

            〇ご命日(3/1・3/4・3/10・3/15)

             集会日とせず、家庭修養日扱い

             

            〇3/5:教団創立記念日

             集会日とせず、家庭修養日扱い

             

            〇春季彼岸会(支部地域)

             

            〇平日は、休館日扱いとなります。

             

            〇教会での教育は中止となります。


            編集者コメント16

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              大阪教会公式ホームページをご覧の皆さま、お元気ですか。今月も宜しくお願い致します。


              令和二年 節分会

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                節 分 会

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 




                ・令和二年2月2日(日)8:50〜11:30

                ・大阪教会2階法座席

                 

                〇序奏・オープニング/追儺・還暦者をスクリーンにて紹介

                 

                〇開式/司会:小原大阪家庭教育担当

                 

                〇読経供養/導師:東教会長

                 

                〇追儺・還暦者の紹介/追儺:9名・還暦:22名

                 

                〇誓いの言葉/追儺女性:中江さん(東大阪西支部)

                 

                〇記念品贈呈/追儺代表:田井さん(藤井寺支部)

                       還暦代表:菊池さん(寝屋川東支部)

                 

                〇講話/東教会長

                 

                〇コント/青年婦人部員有志

                 

                〇来賓紹介/聖壇上にて紹介:29名 代表挨拶:東大阪市長

                 

                〇豆まき/内陣・法座席

                 

                〇特別初荷抽選会/司会:木村学生部スタッフ

                 

                〇閉会/支部ごとに法座修行


                令和二年 涅槃会

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                   〜本部よりインターネット中継〜

                    

                      〇令和二年2月15日(土)

                          9001200

                    ○大阪教会2階法座席

                   

                   

                  釈尊涅槃(DVD)・奉献の儀・読経供養・啓白文奏上・仏讃歌斉唱・体験説法・ご法話(会長先生)〜大阪教会切り替え〜挨拶(東教会長)

                   

                   

                   仏教を開いたお釈迦さまの死(入滅)を追悼する法要が涅槃会です。「涅槃」とは古代インドの言葉「ニルヴァーナ」の音写語で、もともとの意味は「欲望の炎が吹き消されて心が安らいだ状態」です。それが、「完全な心の安らぎは生命の炎が吹き消された状態で実現する」と考えられるようになり、「死」をも意味するようになりました。

                   涅槃会は、八十年の生涯に数多くの教えを説いたお釈迦さまに感謝するとともに、お釈迦さま(仏)・教え(法)・共に教えを奉じる仲間(僧)の三宝を心にきざむ日でもあります。

                   


                  編集者コメント15

                  0

                    大阪教会公式ホームページをご覧の皆さま、こんにちわ。暖冬といっても、寒い日もあるのでお身体ご自愛ください。


                    令和二年2月 会長先生法話

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                      ※2月1日朔日参り(布薩の日)式典にて大阪教会東教会長より教団月刊誌「佼成」2月号『会長法話』から今月の信仰生活の指針を頂きます。

                       

                      会長法話    

                       

                      生きがいをみつけよう

                              

                              庭野日鑛 立正佼成会会長

                        

                       「お 前 も、 死 ぬ ぞ」

                       

                       二月は、涅槃会の月です。涅槃会は、釈尊ご入滅の日とされる二月十五日に、仏教徒がそのお徳をたたえ、仏の教えの学びを深める日ですが、では、ご自身の「死」をとおして、釈尊は私たちに何を伝えられたのでしょうか。

                       

                       私は、「生きとし生けるものは、みな、いつか必ず死を迎える」という実相を示されたのだと受けとめています。

                       

                       仏教では「生死一如」といいますが、生きることと死ぬことは、一セットです。生があり、死があってこそ「命」なのです。ところが、私たちはその一方の「死」を、なかなか受け容れられません。多くの人にとって「死」は、恐ろしくて、避けてとおりたいものといえるでしょう。しかし、だからこそ釈尊は、「お前も、死ぬぞ」と、この世の実相を、身をもって語りかけてくださったと思うのです。

                       

                       ただ釈尊は、もちろんご自身の死をとおして、そのことだけを教えているわけではないと思います。生まれては死に、死んでは生まれ、という「いのち」の大きな流れのなかで、私たちが人としてこの世に生まれ、生きる意味をも教えているといえないでしょうか。つまり、ただ死ぬためだけに生れてきた人は、一人もいないということです。 

                        

                       法華経の法師品に「衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり」(現世で苦しむ人びとを愍む心から、人間界に生れてきた)とあります。この経文に照らせば、悩みや苦しみの絶えない私たち人間を見かねて、釈尊がこの世にお出ましになったと受けとめることができます。そして、それは釈尊だけではないはずです。そのことをふまえて、つぎに私たちの生きる意味について考えてみましょう。

                       

                       生 き る 意 味 と は

                       

                       法師品には、「衆生を哀愍し願って此の間に生れ」ともあります。苦しみの多いこの世に、私たちは願って人間として生まれてきたというのです。見方を変えると、苦難もあれば喜びもある娑婆世界だからこそ、そして、私たちが真理や実相をつかむことのできる人間であればこそ、いまここに生きているということになります。

                       

                       身近な人や家族、あるいは自分が、病気をしたり、亡くなったりするのは、ほんとうにつらく、悲しいことです。ただ、そのつらさや悲しみやおそれを心底味わうと、真実を見る目が開かれます。それは、苦しみ、悲しみ、つらさそのものが、 救いのいとぐちになるということです。

                       

                       そして、ここでいう「救い」というのは、たとえ人生のどん底であえいでいるときでも、そこに生きる意味や生きがいを見出し、前向きな力に変えていくことです。 

                       

                       救いとか生きがいといっても、おおげさに考えることはありません。それを得るきっかけは、たとえば、夕飯の料理に最善を尽くすとか、あいさつを気持ちよくするなど、ささやかでも、あなたにしかできないことを喜びとして、それがまわりの人に喜ばれる、といったことです。それが、生きる意味や生きがいの核心ではないでしょうか。

                       

                       精神科医で、ナチスの強制収容所体験で知られるV・E・フランクルは「人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない」といっています。 私たちは、運命という自分ではどうにもならないことを、一つ一つ受け容れながら、そのつど前向きな価値をみつけて生きていくことが大切なのです。

                       

                       それは、悟りとも気づきともいえるものですが、その繰り返しが人生なのでしょう。良寛は「世のなかに何が苦しと人問えば 御法を知らぬ人と答へよ」と詠んでいますが、仏の教えをいただく私たちは、いつ、どのようなときも、生きがいをもって生きる法をすでに頂戴しているのです。



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