平成30年7月 会長先生法話
※7月1日朔日参り(布薩の日)式典にて大阪教会松本教会長より教団月刊誌「佼成」7月号『会長法話』から今月の信仰生活の指針を頂きます。
会長法話
和らぎをもたらす言葉 庭野日鑛 立正佼成会会長
正 直 に、誠 実 に
釈尊の基本的な教えである「八正道」の一つに、「正語」があります。真理にかなう言葉を語るということですが、私たちはふだん、そのように「正しく語る」ことを、ほとんど意識していないのではないでしょうか。ですから「正語」といわれても、すぐに生活実践と結びつく人は多くないかもしれません。それでも、日ごろ人と接する際、私たちはその場が和むような会話を自然にしているはずです。なぜなら、そのほうが楽しいからであり、そして、安らぐからです。
「正語」は「有益な言葉を語る」と受けとめることもできますが、調和や和合は私たちが生きるうえでたいへん重要なこと、つまり有益なことですから、その場が和らぐ言葉は、まさに「正語」といえるのです。その意味では、だれもが知らずしらず「正語」を実践しているともいえそうです。
ただ、私たちはときに、調和や和合を乱すような言葉を使ってしまいます。その第一は、自分に都合のいい嘘をついたり、真実を偽って伝えたりすることです。
釈尊は、在家の弟子に向けた説諭のなかで、「他人に向かって偽りをいってはならない」と明言されています。また、「自分を苦しめず、他人を傷つけることのない言葉だけを語りなさい」ともおっしゃっています。嘘は他人を惑わせ、和合を破り、結局は自分を苦しめるのです。そのように考えると、「正語」を実践するうえで大事なのは、何をどう話すかというよりも、正直に生きる誠実さを忘れないことなのかもしれません。
言葉の内容ではなく、対話する相手と向き合う姿勢ということで思い起こすのは、ノーベル平和賞の選考委員も務められた、ノルウェー国教会オスロ名誉司教のグナール・スタルセット師(第三十回庭野平和賞受賞者)です。
スタルセット師は、国際会議の席で意見が分かれるようなときでも、その場をじつにうまくまとめていかれます。とはいえ、師が饒舌なのではありません。むしろ、寡黙なかたです。さまざまな声にじっくりと耳を傾け、求められれば穏やかに見解を述べつつ、最後に「では、このようにしてはどうでしょうか」と、みなさんに諮るのです。
立場の違う人が集まる席では、議論が紛糾することもあります。そこに調和をもたらすのは、人の意見をよく聞いて思いを酌みとる姿勢と、自我を抑えた公平な態度から発せられる言葉だということでしょう。師の示すこの姿勢には「正語」の意味あいの核心が示されていると思うのです。
か な し み を 抱 い て
日本語で、漢字の「愛」は「かなし」といいます。愛する、慈しむということは、悲しむということであります。母親がわが子を愛おしむ心、といえばわかりやすいかもしれません。「正語」、すなわち「正しく語る」ということのなかには、そうした慈しみ、悲しむ心と、相手の幸せを念ずる情が籠められているのではないでしょうか。
「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり」とは道元禅師の言葉ですが、スタルセット師の言葉には、宗教者に共通する慈愛の念が籠められており、だからこそだれにも受け入れられるのだと思います。そういえば、良寛さんが放蕩三昧の甥を改心させたのは、説諭の言葉でも叱責でもなく、甥を思って流したひと筋の涙でした。慈愛に満ちた沈黙によって伝わる「正語」もあるということです。
私たちの幸せをだれよりも念じてくださる両親やご先祖の愛心を、まもなく開花を迎える清らかな蓮華を愛でながら、この盂蘭盆会の時期にあらためてかみしめるのもいいのではないでしょうか。
- 2018.06.30 Saturday
- 会長法話
- 12:44
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- by rkkkinkiosaka