平成30年2月 会長先生法話

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    ※2月1日朔日参り(布薩の日)式典にて大阪教会松本教会長より教団月刊誌「佼成」2月号『会長法話』にて今月の信仰生活の指針を頂きます。

    会長法話    

    人生を厳粛なものに   庭野日鑛 立正佼成会会長

    厳粛に生きるとは

    「人生を厳粛なものに」というテーマですが、そもそも一人ひとりの一生は、「生まれる・老いる・病む・死ぬ」のどこをとってみても厳粛以外の何ものでもありません。意識していないだけで、私たちはみな厳粛な人生を歩んでいるのです。そうすると、そのことを明らかに知る、真理を自覚して生きることが、人生を厳粛なものにする鍵といえそうです。

     ただ、「厳粛」を辞書で引くと「おごそかで心が引き締まるさま」とあり、そうした気持ちを常にもちつづけるとなると、堅苦しくて「とてもそのようには生きられない」という気がしてしまいます。だからでしょうか、ある方はきわめてわかりやすく「厳粛とは、無常観に立って、いまを大切に生きること」といわれています。一日を、一時間を、そしていま目の前の一分一秒を、おろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切なのです。

     そのように捉えると心に余裕が生まれますから、気持ちもゆったりと落ち着いて穏やかになり、まわりの人とも仲良く、楽しくすごせます。そういう時間の積み重ねが、幸せで、かつ厳粛な人生といえるのでしょう。

    一休禅師の道歌「死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちによき人となれ」ではありませんが、あの世に行ってから厳粛になるのではなく、いまこの娑婆ですでに厳粛な人生を歩んでいる真実をかみしめ、一日一日を確かなものにしていきたいものです。いつも申しあげるように、私たちはみな仏性をもっていますから、だれでも真理を自覚することができます。「娑婆即寂光土」と受ければおのずと、人生は厳粛なものになっていくのです。

    心のスイッチを入れる

    たくさんのすぐれた仏教詩を残した教育者の東井義雄先生が、小学校の校長をされていたとき、ある教室に次のような言葉が掲げられていたそうです。

     「ずいぶん 寒くなったが/いつまでも 寝床の中で/グズグズしていないで/心のスイッチをポンと押して/パッと飛び起きようではないか/ポンとスイッチを押すと/パッとあかりがともるように/朝起きも ポン・パで行こう」(『東井義雄「いのち」の教え』佼成出版社刊)

    いまはちょうど一年で一番寒い時期ですから、みなさんにも思い当たるふしがあるのではないかと思いますが、この「ポン・パ」は、いろいろなシーンで活用できそうです。それぞれが苦手とすることに当てはめてみてもいいですし、日常生活のなかで真理を自覚することについても、この「心のスイッチ」は役にたつように思います。

    朝、ご宝前にお参りするとき、学校や職場や教会道場へ出かけるために家を出るとき、「おはようございます」と人とあいさつをかわすときなど、毎日、何気なく行っていることのどれか一つを「心のスイッチ」を押すきっかけにして、心に「ポン」と「真理の電流」を流し、「きょう一日、出会う人を大切にしよう。時間を有意義に使おう」というような「真理の灯り」を心に「パッ」とともすのです。「ありがとう」という感謝の言葉も、私たちが「いま・ここに存在する」という厳粛な事実から生まれた「有り難い」を語源とするものであり、真理をかみしめるための「心のスイッチ」にはうってつけといえるでしょう。こうした習慣が身につけば、ことさら意識しなくても、私たちの日常は自然に厳粛なものになっていきます。

    入滅される前、釈尊は「すべては移ろいゆく。怠ることなく精進しなさい」といい残されました。涅槃会には、ご自身の死に際して、あらためて無常の法を説き、精進を促された釈尊のお心に思いを寄せてまいりたいと思います。

     



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