平成29年8月 会長先生法話

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    *8月1日(火):朔日参り(布薩の日)式典に於いて大阪教会松本教会長から8月号教団月刊誌「佼成」会長法話より今月の信仰生活の指針をいただきます。
    会長法話

    見えないはたらきに気づく   庭野日鑛 立正佼成会会長

    信仰は「気づき」のきっかけ

     いま流行りの脳トレーニングではありませんが、今月はまず初めに、クイズを出題したいと思います。「空気・心・ご縁」。この三つに共通することがらが何か、みなさんはおわかりになるでしょうか。一見、なんのつながりもなさそうですが、これらには次の共通点があります。「実際に触れることも見ることもできないものでありながら、私たちが生きるうえで欠かせない大切なもの」これが答えです。ふだんはあまり気に留めることがないにもかかわらず、その存在の大切さに気づけば、感謝せずにはいられなくなるものといえるでしょう。もちろん、まだほかにも同じ理屈にあてはまるものはありそうです。みなさんは、何を思い浮かべますか。心やご縁を具体的に考えてみても、たとえば親のご恩やご先祖の徳、家族の思いやりや友人の気遣いなども、つい感謝を忘れてしまいがちな「目には見えない大切なもの」といえます。スイスの画家パウル・クレーは、「芸術は見えないものを見えるようにする」といっていますが、宗教や信仰もまた「目に見えないものを見えるようにする」ものです。正確にいえば、目に見えない心のありようや「いのち」の不思議・有難さ、そして生命の尊さなど、人として生きるうえでほんとうに大事なことに気づかせてくれるきっかけを、宗教や信仰は与えてくれるのです。では、それが現実の生活においてどのような意味をもっているのかを考えてみましょう。

    素直になる

     法華経の如来寿量品に「常に此に住して法を説く」という一節があります。仏さまはいつも、私たちのすぐそばで法を説きつづけてくださっているということです。ところが、そのあとすぐに「我常に此に住すれども、諸の神通力を以って 顛倒の衆生をして近しと雖も而も見ざらしむ」とつづきます。すなわち、私たちにはそれが見えない、聞こえない、わからないというのです。なぜかというと、「顛倒の衆生だから」と経文にあります。ものごとを誤って受けとったり、自分本位のかたよった見方をしたりするからだというのです。それでは、私たちはどうすれば仏さまのメッセージに気づけるのでしょうか。いちばん簡単な方法は、素直になることです。素直になれば、目に見えない大切なものも、仏さまの説法も手にとるように感じられ、まざまざと見えてくるはずです。その証拠の一つが、本誌にある「信仰体験」であり、本会の大聖堂や教会道場でみなさんが発表される「体験説法」ではないでしょうか。どれほどつらい現実に直面しても、それをありのまま素直に受け入れたとき、人はそれぞれに大事な気づきを得るーーーある人は多くの人の支えに気づき、ある人は生命の尊さを味わい、またある人は友や家族の思いを痛感し…。それはどれも、いままで思いもしなかった感謝に変わり、そのことに気づくきっかけとなった厳しい現実にさえ「ありがたい」と、頭を垂れます。客観的に見れば苦境にあることに変わりはなくても、目に見えない大切なことに気づいたとき、多くの人が胸のつかえのとれたような安心感に満たされるのです。それは、救いだと思います。目に見えないもののはたらきや仏さまの声に気づくというのは、いうなれば幸せになる早道です。お盆や夏休みでおおぜいの人が集まることの多いこの季節は、みんなで「目に見えない大切なもの」に思いを馳せるいい機会かもしれません。合掌

     

     



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