平成30年1月 会長先生法話

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    ※1月10日ご命日式典にて大阪教会松本教会長より教団月刊誌「佼成」1月号会長法話にて今月の信仰生活の指針を頂きます。

    「会長法話」    

    明るく、朗らかに    庭野日鑛 立正佼成会会長

    自らを灯として

     元日の朝を「元旦」といいますが、「旦」とは、ご承知のように地平線から太陽があらわれ出た姿をかたどった文字です。元朝の日の清清しい輝きを受けて、新年を迎えた私たちの身心はいきいきと発動し、一年が始まります。さて、そうしてはじまる一年を、みなさんはどのように歩んでいきたいと願っているでしょうか。それぞれに思うところ、期するものがあると思いますが、だれにも共通するのは、一年をとおして明るく、朗らかにすごしたいという願いでしょう。そうであれば、ぜひ忘れずにいたいことがあります。それは、私たちに生きるエネルギーを与えてくれる太陽のように、まずは自ら明るく朗らかになって、人を和ませ、喜ばせることです。ときには人に励まされ、他の人の明るさに癒されることもあるでしょうが、自ら明るく朗らかに生きる ――それが大切だと思います。ただ、「生まれつき陽気なひとでない限り、それは難しい」と諦め、ため息をつく人がいそうです。しかし、諦めることはありません。仏教では、自灯明・法灯明と教えています。自灯明は「自らを灯として生きる」ということですが、それは「何にも左右されない確固たる生き方の芯がある」ということです。そしてその「芯」となるのは、自分を含むすべての人が、かけがえのない命を、いま・ここに・自ら生きているという揺るぎない「信念」で、いま命あることへの「感謝」が、芯を明るく灯しつづけるのに必要な「油」といえるのではないでしょうか。

    法をよりどころに

    「足無し禅師」と呼ばれた禅僧がおられます。昭和二十年、二十五歳のときに朝鮮半島で敗戦を迎え、抑留先のシベリアで両足に凍傷を負って両膝から下を切断した方です。不自由な体で日本に帰るまでの艱難辛苦と、二十六歳で帰国してからの苦悩は、私たちの想像を絶するものだと思います。ところが二十七歳のとき、その方、小沢道雄師は「ひらめきに似た心の光」を得たといいます。「そうか、人と比べるから苦しむのだ」――そして師は、思いを定めるのです。「比べる心のもとは二十七年前に生まれたということだ。二十七年前に生まれたことはやめにして、両足を切断したまま、きょう生まれたことにしよう。きょう生まれた者には一切がまっさらなのだ。本日ただいま誕生だ!」その日以来、「本日ただいま誕生」の言葉を胸に、「いつもにこやかにしていよう」「ありがとうと、必ず感謝しよう」を心がけて、温顔の仏道人生を歩まれたということです。明るく、朗らかに生きるというとき、陽気な性格や環境に恵まれていても、いなくても、要は何を心の芯に据えるかが大事で、私たち仏教徒にとっては、それが仏法(ご法)であることを、この小沢師が明快に示してくださっているのではないでしょうか。そしてこれが、法を灯として生きる―――法灯明でありましょう。また見方を変えれば、ほんとうの明るさ、朗らかさは、苦悩を突き抜けた先にあるともいえますが、苦悩を突破するには、先に述べた「生き方の芯」とともに、さまざまな思わくにとらわれないで心を一つに向かわせる「志」をもつことが大切です。俳人の高浜虚子が、新年に当たって「年改まり人改まり行くのみぞ」という力強い一句をのこしています。この句のごとく、一人ひとりが「自らを新たにする」という清新な心意気をもって、明るく朗らかに一年をすごしていこうではありませんか。

     



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