平成29年秋季彼岸会 体験説法

0

    平成29年9月24日(日) 秋季彼岸会 

    体験説法:淀川支部 獅子堂壮年部さん(77歳)

     本日は、秋季彼岸会の良き日に説法のお役を頂き、誠にありがとうございます。私、二月初め頃から古傷の座骨神経痛が悪化して右足膝から下爪先まで、痛みと痺れがひどくなり痛み止めを飲み、リハビリをするも歩行困難となり、これ以上は手術しかないと言われ、桑本支部長さんに病院の方位を見て頂き、大阪病院にて腰部脊柱管狭窄症と判明し、622日手術となりました。手術前日の説明の中で後遺症が出て再手術の可能性もあると聞いて怖くなりました。しかし一旦決めた事だから、後は仏さまにおまかせしようと思い手術して頂くことにしました。手術当日は支部長さん、支部サンガの皆さまの手術成功祈願のお蔭さまで4時間半に及ぶ手術も、大成功で無事終わりました。手術後もお忙しい中、皆さんのお見舞いで元気を頂き、順調に回復77日無事に退院する事が出来ました。入院中に団参責任者の後藤さんが見舞いに来られた時に、お話の中で、私お礼参りに8月の団参に参加したいとお伝えすると、是非一緒に行きましょうと言われ凄く嬉しかったです。その日から退院までは病院で、退院してからは自宅で、手術から1ヶ月しかたたない723日の天神祭万燈行進の日の当番の聖壇お役成就と団参参加の祈願に入りました。大きな二つの目標のお陰さまでリハビリも毎日励み両祈願とも叶えて頂く事が出来ました。み仏さま開祖さまありがとうございました。法句経の前文より。『人の生を受くるは難く、やがて死すべきものの、今生命あるは有難し』新しい命を頂いた私の今の心境です。このたび、地区法座の中で支部長さんから説法の話を妻が聞いて来ましたが、無学で人さまの前での話が苦手な私に、支部長さん殺生やと思い、どうお断りしようと思い悩んでおりましたら、支部長さんから電話が入りお話を聞くうちにお断りする事が出来なくて、する事にしました。団参で大聖堂での講話の中で、お役の声が掛かったら仏さまからの声として素直にお受けするものと教えて頂いておりましたので、今はこれでよかったかなと思っております。ここで私、77年の人生を振り返って見ようと思います。私は獅子堂家の三男一女の次男として大阪市淀川区で昭和151212日に産んで頂きました。父は戦争に行っておりましたが体調を悪くして退役帰還をして自宅で療養中でした。昭和203月の大阪大空襲後、父の故郷、徳島県三好郡箸蔵に疎開しました。道路脇の借家住まいでしたが半年後父は脳溢血で倒れ34歳の若さで他界、母は30歳、兄8歳、私6歳、妹3歳、弟は母の胎内で8ヶ月でした。弟は生後間もなく子供のいない家に貰って頂いたそうですが3歳で亡くなったと後に母から聞きました。父の死後、私は大阪の親戚にあたる篠崎家に引き取られ、小学校入学までの17ヶ月の間お世話になりました。入学のため、母兄妹の住む山の中腹にある箸蔵の借家に帰りました。母は父の死後四国八十八ケ所番外十五番札所のお寺の下働きとして仕事に就いていました。母の収入で食べていけず、また大阪の篠崎家で2年間お世話になるように成りました。叔父さん、叔母さんから、うちの子になったら、高校も大学も行かせてやるよと言って頂きましたが、母兄妹と一緒に住みたい為お断りしました。しかも小学校5年から中学卒業の5年間、春夏冬休みごとに大阪に来て叔父叔母に実の子のように、お姉さんには弟のように可愛がって頂き、ありがたくて、ありがたくて感謝しかありません。その当時、また家が変わって、山奥の祖母宅の隣で、電気、水、風呂無しの母私妹の3人の生活。兄は、中学校に行かず、左官の見習いとして親方宅での下宿生活でした。私は小学校に、山下り30分、帰りは山登り1時間40分かけ登校しました。学校から帰ると天秤棒に水桶2個を前後に担ぎ、50メートル坂の上の家で、もらい水を2往復、学校の帰りが早い時と休みの時は上の家の子守りをして、二日に一度もらい風呂の生活でしたが、6年生の春、火の不始末で祖母宅が焼失しました。その時3年生の妹は、警察から火遊びしていただろうと激しく責められました。絶対にしていませんと認めませんでしたが、ずっと泣いていました本当にかわいそうでした。今思うと私は祖母の火の不始末だったと思います。家焼失の為、母が勤めるお寺の物置を改造して住まわせて頂きました。此処も電気なし、風呂は近くの家で風呂焚きをして、もらい風呂の生活、妹は火事のことで学校でいじめに合い不登校となり、お寺関係の家に養女として名古屋に連れて行かれました。その後10年間お礼奉公を済ませ帰って来ましたがとても辛かったと思います。私、小学6年の秋、親不孝の大失態、ブランコ遊びで飛び降りた時に、左足を骨折、先生に連れられ町の骨継ぎ屋で治療ギブスで固定、松葉杖2本借りて先生が家まで送ってくれました。50日後ギブスを取る為、医者に行くも、急坂下りで帰りは急坂登り、松葉杖が使えず母におんぶして貰って、何度も休みながらの行き帰りでした。母の背中で「母ちゃん、ごめんな、ごめんな」と言うばかり、母はどんなに苦しかっただろう、今あらためて天国の母に言わせて頂きます。母ちゃんあの時は、本当にごめんなさい!こんな言葉があります。『十億の人に十億の母あらむも、わが母に勝る母ありなむや』と本当に我が母強し。中学卒業後、学校の紹介で3年勤めたら条件がとても良くなると言う大阪の町工場に就職しました。3年後の昭和34年母が大阪に住むようになり、会社に母と一緒に住めるようにお願いするも、出来ないと言われ、約束を守ってくれないならと退職。その後、母と同居、次の年篠崎のお姉さんの旦那さまの紹介でM橋梁(株)に臨時工として入社後、1年で社員として採用して頂き41年間勤めました。平成12959歳で退職、次の日に下請け会社としてM工業を設立し、従業員7人で会社運営をしました。在職中には鳴門大橋、瀬戸大橋、明石大橋、来島大橋の建設に携わりとても充実した仕事が出来ました。9年後の平成213月に会社を閉鎖し退社しました。昭和35年入社以来多くの上司先輩同僚後輩及び従業員に恵まれての50年間、会社人間を全うすることが出来ました。今はもう会社が無くなりまししたがM橋梁の皆様、誠に有難うございました。仕事の中で九死に一生を得たことが有ります。雨天の日屋外作業中レッカー車のワイヤーが電線に触れ私は感電死するかと思い、母ちゃんごめんと思った瞬間1メートルぐらい飛ばされて命拾いしました。後で見ると電圧6千ボルトでした、これも母のお徳のお蔭かなと思わせて頂きます。そして、社員旅行の中でこんな言葉を目にしました。日常の五つの心、一、ハイと言う、素直なこころ。二、すいませんと言う、反省の心。三、私がしますと言う、奉仕の心。四、お蔭さまと言う、謙虚なこころ。五、有難うと言う、感謝の心。私、この五つの心の言葉に凄く感動し、人生のモットーとして行こうと決意しました。昭和39年母と離れて公団住宅1DKに住んで青春を謳歌、昭和42年親戚の叔母さんの紹介で妻とお見合い、私27歳妻23歳で結婚しました。43年長男、次の年には長女に恵まれ幸せ一杯の生活に問題が起こりました。5階に引っ越してきた奥さんと妻が親しくなり、佼成会に勧誘され入って良いかと聞かされましたが、私は新興宗教と思い大反対するもそれでも勧誘され、断り切れなくて12月に入会、子供がいなければ、離婚も考えるぐらいでした。翌年4810月私は念願の家を大阪に持つ事が出来ました。引っ越しをしても大阪教会の方が手取りに来られ、妻の教会参りが始まりましたが私は見向きもしませんでした。私は妻が活動の中、寒修行参りで妻と友人の奥さんの送り迎えをしていましたが、教会の2階に上がらず車の中で待っていました。51年、地区の会員さんの祈願供養の最後の日に、妻も私も朝寝坊をしてしまい、私は会社を休み、子供を送り出した後で妻に教会に送ってくれないかと頼まれ仕方なく送り帰ろうとすると、2階に上がってくれないと言われ、初めて教会の2階に上がり御本尊さまを拝ませて頂きました。その時、笑顔でよく来たねーと声を掛けて下さったように感じました。それから私の教会参りが始まり、今風に言えば私は御本尊さまに惚れました。そんな中525月元気だった母が体調悪く検査の結果末期の胃ガンとわかり、2回の手術をするも1ヶ月後6762歳で、苦労の多い人生に幕を閉じ、父のもとへと旅立ちました。それからの私は仕事をしながらも、活動に少しずつでるようになりました。平成6年に御本尊勧請のお手配を頂き大聖堂の御本尊さまを拝すると、今まで何をしていたのか!と、怒りの眼の様に感じました。その後15年、御守護尊神勧請、16年教師拝受、団参と、行くごとに優しい笑顔で迎えて下さるように感じました。今回の8月の団参は最高の笑顔でした。23年支部壮年部長のお役を頂き、部員皆様の支えご協力のお蔭さまでお役を務める中、心の中でずっとモヤモヤしている事がありました。それは、私は父の事をずっと恨んで来ておりました、と言うのは、父が34歳という若さで亡くなった後、残された30歳の母が4人の子供を育てるのにすごく苦労をしているのを見ていたので、同じ死ぬなら戦死していたら恩給がいただけたのにという心があったためです。私と同じ思いの壮年さんがご命日説法の中で、子供を残して早く亡くなった父は、どんな思い、苦しみだっただろう、申し訳ないとの説法を聞かせて頂き、私も父の思いを判らず恨んで来た事が申し訳なくなり、当時の河南支部長さんにお通しさせて頂くと、お父さんのお詫び供養をしなさいと言われ、1ヶ月間供養に入らせて頂きました。ご供養をさせて頂いているうちに、あの大阪大空襲の時、父がいたから命永らえて今の私があり、母一人ではどうなっていただろうかと、父の無念苦しみ痛みを判らせて頂く事ができました。今は言えます!おやじありがとうと。もう一つ、私は息子が中学生の時から他宗教に入り、子育て失敗で悩んでおりました。壮年部夜間練成法座の中で息子の事を発表させて頂くと、法座主の杉浦さまから『何も悩むことはないでしょ、信仰心があっていいじゃない』三部経二十七番の読誦修行に入りなさいと言われ、そういう捉え方があるんだと思わせて頂き、言われるまま素直に、一年間の読誦修行をする中で、とらわれも無くなり、息子との関係が少しずつ良くなり救われた気持ちになりました。今、息子も結婚し、アメリカで仕事をし、幸せに生活しております。壮年部長のお役をさせて頂いている中で、2510月から難聴のせいか、支部部長会議の中で聞き取りが難しくなり、支部への報告がしにくくなって、桑本支部長にお通し退任をお願いしましたが、部長会議にはどなたかに一緒に入って頂くのであと1年、頑張ってくださいと言われ、261月から月俟壮年部さんが入って下さりお役を全うする事が出来ました。月俟さんには私の退任後壮年部長のお役を引き継いでくださり、誠に有難うございます。私は新たに、聖壇担当のお役を頂き頑張って行きたいと思っております。説法のお蔭さまで、77年の人生を振り返りますと、人はひとりでは生きていけない、また父母のお蔭さまと多くの人たちが関わって頂いたお蔭さまで、今の自分があるとわからせて頂きました。最後に私を仏さまの道に導いてくれた妻の多栄ちゃんありがとう!今、万燈布教、真最中淀川支部一願となって布教に頑張っています。これから残された人生皆様と共に教会活動・支部活動・聖壇活動に精進することをお誓いいたします。合掌



    calendar

    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << November 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recommend

    links

    profile

    書いた記事数:62 最後に更新した日:2017/11/15

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM