平成29年 生誕文化祭

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    開祖さま生誕文化祭

    開祖さまのご生誕をお祝いするとともに、開祖さまのご因縁をかみしめ、「報恩感謝」と新たなる「誓願」をさせていただき、会員のまごころの力作を展示しました。

    ※展示品:写真・書道・絵画・手芸 その他多数

    〇平成29年11月1日〜15日

    〇大阪教会7階中央ロビー

     

     

     

     

     










     










     

     

     

     

     

     

     










     


    第3回旧青年部同窓会

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      第3回旧青年部同窓会

      〇平成29年11月3日(祝)11:00〜13:00

      〇大阪普門館602・3号室

      思い起こせばお互い様、これまで辛いことや悲しいことの多い人生を乗り越えられて今ここにあるのは、若かりし頃佼成会の教えを学び、多くの仲間があったればこそと思う日々です。教会長・支部長等を勇退された方々や近畿各地はもちろん、遠方より馳せ参じてくれた同志と久しぶりに膝を突き合わせて、思い出話しや近況報告などで、盛上がりました。また、青梅練成歌等を合唱し楽しいひと時を過ごすことができ、明日からの精進を誓い合いました。合掌






       

       


      平成29年11月 松本教会長のことば

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         みなさんこんにちは。肌寒さが日に日に増し、街路樹にも秋の気配を感じる季節になりましたが、お元気にお過ごしでしょうか?

        今月1115日には開祖さまの生誕会を迎えます。私たちには、生みの親、育ての親と共に、導きの親がいますが、その導きの親にも導きの親がおり、その親にも・・・と順々に遡っていきますと、私たち会員全員が一人の親にたどり着きます。どなたにたどり着くのでしょうか。そうです、私たちすべての会員が開祖さまという一人の導きの親に行き着くのです。開祖さまが私たちを導いてくださらなければ、私たちは一人として立正佼成会の会員になることはできませんでした。佼成会を創立し、私たちが100%救われる教えを説き、世界を平和に導く大道を開いてくださった開祖さまと、その教えを弘めて下さった諸先輩方への感謝と、報恩の心で今月も精進させていただきたいと思います。さて今月は、私たち一人ひとりに必ず存在する親に関連して、「親孝行と菩薩行」というテーマで会長先生からご法話を頂戴しました。「孝行のしたい時分に親はなし」ということわざがあるように、親が亡くなってから、生前の親不孝を後悔することがあるわけですが、会長先生は「親孝行に『手遅れ』なし」と教えてくださいました。それはなぜでしょうか。親御さんが仮に霊界にいらっしゃったとしても、親に心配をかけず、安心してもらえるような生き方をすることが大切であり、それを両親がどんなことより喜ばれるからです。まして、元気に暮らす両親にとっては当然のことでしょう。さらにその生き方が、「暮らしの中の一つ一つに、ていねいにとりくむ」「日々を明るく、楽しくすごす」「人に喜ばれることを誠実に行う」ことであれば、なおさらであります。開祖さまは、教団創立61周年記念式典の際に「私が本会を創立した願いは、一人でも多くの人に、法華経に示された人間の生き方を知ってもらい、本当の幸せを自分のものにして頂きたいということでありました。私の努力のすべてはこの願いに発していると言っても過言ではありません」と会長先生の代読でお言葉を述べられました。この『法華経に示された人間の生き方』を会長先生は、分かりやすく「暮らしの中の一つ一つに、ていねいにとりくむ」「日々を明るく、楽しくすごす」「人に喜ばれることを誠実に行う」とお示しくださったのです。立正佼成会の会員である私たちの親孝行は法華経の生き方そのものと言えましょう。さらに開祖さまは「親孝行」と併せて、「先祖供養」「菩薩行」を法華経に示された教えの身近な行いとして教えてくださいました。親孝行は先祖供養とひとつながりですから、本会の教えは「親孝行」と「菩薩行」に集約されます。さらに、「親孝行」とは、「人に喜ばれることを誠実に行う」ことですから、本会の教えの究極は「菩薩行」に絞り込むことができるのです。菩薩行を通して自他のいのちの尊さに触れ感謝できる人間になっていき、自然とそれが生んでいただいた両親への感謝にも通じていくのです。

         立正佼成会は12月を新年度のスタートとしますから、いよいよ来月から創立80周年の年になります。今月のご法話を通して、改めて「立正佼成会は菩薩行する教団である」という原点に返って、創立の願いや親孝行を通して自らのいのちを見つめてまいりましょう。また、佼成会の親である開祖さまへの感謝と仏教の親である仏さまへの思いを深め、報恩感謝の最終月をさらなる布教伝道をお誓いし、精進して参りたいと存じます。合掌


        平成29年11月 会長先生法話

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          ※11月1日朔日参り(布薩の日)式典にて大阪教会松本教会長より教団月刊誌「佼成11月号」会長法話にて今月の信仰生活の指針を頂きます。

          会長法話 

          親孝行と菩薩行    庭野日鑛 立正佼成会会長

          親孝行に「手遅れ」なし

           両親を敬い、父母によく仕えることを「考を行なう」と書いて「孝行」といいます。そして、「孝行のしたい時分に親はなし」のことわざが示すように、親孝行は両親が存命のうちに、と考えるのが一般的です。しかし、多くの人の場合、両親が元気なうちに孝を尽くすことが、なかなかできません。気恥ずかしさもあるでしょうし、心のどこかに「ずっと元気でいてくれるはず」という願いにも似た思いがあるからかもしれません。それで、亡くなって初めて親の恩の大きさを痛感し、生前の親不孝を悔やむ人が少なくないのです。ただ、私は親孝行をするのに、けっして手遅れということはないと思うのです。私は以前、本誌のこのページで、親やご先祖さまに「安心してもらえるような生き方をしよう」と申しました(「親孝行と仏道」/2011年11月7月号)。それをより具体的にいえば、暮らしの一つ一つに、ていねいにとりくむ。日々を明るく、楽しくすごす。人に喜ばれるようなことを誠実に行うことです。娘や息子がこのように生きていれば、いまは亡き両親も、安心してくれるのではないでしょうか。そのような意味で、親孝行をするのに手遅れということはないのです。元気に暮らす両親にとっても、当然のことながら、わが子が誠実に生きて、まわりの人に喜ばれることは何よりもうれしいはずです。もちろん、お墓や仏壇・ご宝前へのお参りは、それ自体が親孝行です。そして、それは親や先祖に手をあわせるからという理由だけでなく、その姿勢がすでに「自分の命の根源に感謝できる人間」に成長している証だからです。

          「孝は百行の本」

          開祖さまは、法華経に示された教えを身近な行いにあてはめ、「親孝行」「先祖供養」「菩薩行」の三つが大事と説き示されました。先の親孝行の受けとめ方でいえば、親孝行は先祖供養とひとつながりですから、本会の教えは、「親孝行」と「菩薩行」に集約されるといっていいのかもしれません。では、その菩薩行とは何か。それは、布施・持戒・忍辱など仏さまの教えに随って、人を思いやり、周囲の人に喜ばれるような行ないのことです。見方を変えれば、人の喜びを自分の喜びにする人を菩薩といい、その菩薩の心を支える杖は、生かされていることへの感謝といえましょう。そこで、先の親孝行のとらえ方をもう一度ふり返ってみましょう。日々をていねいにすごし、誠実に、人に喜ばれるような生き方をすること-----この親孝行の具体像を菩薩行と重ねると、親孝行も先祖供養も菩薩行も、根本においては一つということがわかります。そして、これらすべてに共通するのは、いま命あることへの「感謝」です。「孝は百行の本」という言葉があります。「孝行はすべての善行の根本となる」という意味ですが、その孝行も生んでいただいた両親への感謝が基本ですから、命への感謝がすべての善行の土台となり、それが善なる世界を創造する力になると教える言葉なのかもしれません。十二月を一年のスタートとするのが本会の習わしですが、まもなく創立八十周年を迎える年に入ります。今月は本会で大事にしている「親孝行と菩薩行」についてお話ししました。このことをとおして自分の命の原点を見つめ直し、あらためて自身の信仰のあり方をふり返る機会になればと思います。そのうえで、一人でも多くの人に仏法をお伝えするという菩薩行の基本をかみしめ、生きる喜びを自他ともに味わわせていただきましょう。

           

           

           

           


          平成29年11月 大阪教会主要行事

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            1日(水)9:00〜 お朔日参り 布薩の日(夜間担当:壮年部)

            4日(土)9:00〜 開祖さまご命日・『常住此説法』

            10日(金)9:00〜 脇祖さまご命日・報告会(ラポールの会)

            15日(水)9:00〜 開祖さま生誕会

                        〜本部よりインターネット中継〜

            ◎生誕文化祭11/1〜15(大阪教会7階中央ロビー)

            ※家庭修養日:6日(月)・16日(木)・26日(日)

             館内整備日:2日(木)・7(火)


            WCRPカンボジア支援バザー

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              WCRP カンボジア支援バザー

              平成29年10月15日(日)12:00〜15:00

              大阪普門館1階駐車場

              縁日…ポップコーン・たこ焼き・お花・ジャム・野菜販売等

              バザー…食器類・日用雑貨・バッグ・靴・衣服等

               カンボジアといえば、世界遺産のアンコールワットが有名ですが、20年にもわたり内戦があったことはご存知でしょうか。その内戦が終結して、まだ30年余り。埋められたままの地雷。整っていない教育環境など、内戦の傷跡がまだ色濃く残されています。ポル・ポト政権下。知識のある学校の先生たちが多く殺害され、学校も教育も奪われました。ポル・ポト政権後、教育環境を整えたくても、多くの先生を失ったため、先生の経験のない大人たちが教える状況でした。その教育を受けてきた子どもたちが、大人になった今も、教育環境は整っていません。学校があっても、教えてくれる先生がいない。先生がいても学校が狭く、子どもたちが入りきらないため、午前と午後の二部制、または三部制で行っていたりします。学校まで遠くて通えない子ども、貧困のため学校に行けない子ども、学校に行かず家の家計を支える子どももいます。カンボジアの未来を担う子どもたちに少しでも長い時間、多くの勉強をしてもらえるよう、奨学金など、子どもたちの教育を支援させていただきたく、開催しました。(大阪普門プロジェクト)

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               










               


              平成29年秋季彼岸会 体験説法

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                平成29年9月24日(日) 秋季彼岸会 

                体験説法:淀川支部 獅子堂壮年部さん(77歳)

                 本日は、秋季彼岸会の良き日に説法のお役を頂き、誠にありがとうございます。私、二月初め頃から古傷の座骨神経痛が悪化して右足膝から下爪先まで、痛みと痺れがひどくなり痛み止めを飲み、リハビリをするも歩行困難となり、これ以上は手術しかないと言われ、桑本支部長さんに病院の方位を見て頂き、大阪病院にて腰部脊柱管狭窄症と判明し、622日手術となりました。手術前日の説明の中で後遺症が出て再手術の可能性もあると聞いて怖くなりました。しかし一旦決めた事だから、後は仏さまにおまかせしようと思い手術して頂くことにしました。手術当日は支部長さん、支部サンガの皆さまの手術成功祈願のお蔭さまで4時間半に及ぶ手術も、大成功で無事終わりました。手術後もお忙しい中、皆さんのお見舞いで元気を頂き、順調に回復77日無事に退院する事が出来ました。入院中に団参責任者の後藤さんが見舞いに来られた時に、お話の中で、私お礼参りに8月の団参に参加したいとお伝えすると、是非一緒に行きましょうと言われ凄く嬉しかったです。その日から退院までは病院で、退院してからは自宅で、手術から1ヶ月しかたたない723日の天神祭万燈行進の日の当番の聖壇お役成就と団参参加の祈願に入りました。大きな二つの目標のお陰さまでリハビリも毎日励み両祈願とも叶えて頂く事が出来ました。み仏さま開祖さまありがとうございました。法句経の前文より。『人の生を受くるは難く、やがて死すべきものの、今生命あるは有難し』新しい命を頂いた私の今の心境です。このたび、地区法座の中で支部長さんから説法の話を妻が聞いて来ましたが、無学で人さまの前での話が苦手な私に、支部長さん殺生やと思い、どうお断りしようと思い悩んでおりましたら、支部長さんから電話が入りお話を聞くうちにお断りする事が出来なくて、する事にしました。団参で大聖堂での講話の中で、お役の声が掛かったら仏さまからの声として素直にお受けするものと教えて頂いておりましたので、今はこれでよかったかなと思っております。ここで私、77年の人生を振り返って見ようと思います。私は獅子堂家の三男一女の次男として大阪市淀川区で昭和151212日に産んで頂きました。父は戦争に行っておりましたが体調を悪くして退役帰還をして自宅で療養中でした。昭和203月の大阪大空襲後、父の故郷、徳島県三好郡箸蔵に疎開しました。道路脇の借家住まいでしたが半年後父は脳溢血で倒れ34歳の若さで他界、母は30歳、兄8歳、私6歳、妹3歳、弟は母の胎内で8ヶ月でした。弟は生後間もなく子供のいない家に貰って頂いたそうですが3歳で亡くなったと後に母から聞きました。父の死後、私は大阪の親戚にあたる篠崎家に引き取られ、小学校入学までの17ヶ月の間お世話になりました。入学のため、母兄妹の住む山の中腹にある箸蔵の借家に帰りました。母は父の死後四国八十八ケ所番外十五番札所のお寺の下働きとして仕事に就いていました。母の収入で食べていけず、また大阪の篠崎家で2年間お世話になるように成りました。叔父さん、叔母さんから、うちの子になったら、高校も大学も行かせてやるよと言って頂きましたが、母兄妹と一緒に住みたい為お断りしました。しかも小学校5年から中学卒業の5年間、春夏冬休みごとに大阪に来て叔父叔母に実の子のように、お姉さんには弟のように可愛がって頂き、ありがたくて、ありがたくて感謝しかありません。その当時、また家が変わって、山奥の祖母宅の隣で、電気、水、風呂無しの母私妹の3人の生活。兄は、中学校に行かず、左官の見習いとして親方宅での下宿生活でした。私は小学校に、山下り30分、帰りは山登り1時間40分かけ登校しました。学校から帰ると天秤棒に水桶2個を前後に担ぎ、50メートル坂の上の家で、もらい水を2往復、学校の帰りが早い時と休みの時は上の家の子守りをして、二日に一度もらい風呂の生活でしたが、6年生の春、火の不始末で祖母宅が焼失しました。その時3年生の妹は、警察から火遊びしていただろうと激しく責められました。絶対にしていませんと認めませんでしたが、ずっと泣いていました本当にかわいそうでした。今思うと私は祖母の火の不始末だったと思います。家焼失の為、母が勤めるお寺の物置を改造して住まわせて頂きました。此処も電気なし、風呂は近くの家で風呂焚きをして、もらい風呂の生活、妹は火事のことで学校でいじめに合い不登校となり、お寺関係の家に養女として名古屋に連れて行かれました。その後10年間お礼奉公を済ませ帰って来ましたがとても辛かったと思います。私、小学6年の秋、親不孝の大失態、ブランコ遊びで飛び降りた時に、左足を骨折、先生に連れられ町の骨継ぎ屋で治療ギブスで固定、松葉杖2本借りて先生が家まで送ってくれました。50日後ギブスを取る為、医者に行くも、急坂下りで帰りは急坂登り、松葉杖が使えず母におんぶして貰って、何度も休みながらの行き帰りでした。母の背中で「母ちゃん、ごめんな、ごめんな」と言うばかり、母はどんなに苦しかっただろう、今あらためて天国の母に言わせて頂きます。母ちゃんあの時は、本当にごめんなさい!こんな言葉があります。『十億の人に十億の母あらむも、わが母に勝る母ありなむや』と本当に我が母強し。中学卒業後、学校の紹介で3年勤めたら条件がとても良くなると言う大阪の町工場に就職しました。3年後の昭和34年母が大阪に住むようになり、会社に母と一緒に住めるようにお願いするも、出来ないと言われ、約束を守ってくれないならと退職。その後、母と同居、次の年篠崎のお姉さんの旦那さまの紹介でM橋梁(株)に臨時工として入社後、1年で社員として採用して頂き41年間勤めました。平成12959歳で退職、次の日に下請け会社としてM工業を設立し、従業員7人で会社運営をしました。在職中には鳴門大橋、瀬戸大橋、明石大橋、来島大橋の建設に携わりとても充実した仕事が出来ました。9年後の平成213月に会社を閉鎖し退社しました。昭和35年入社以来多くの上司先輩同僚後輩及び従業員に恵まれての50年間、会社人間を全うすることが出来ました。今はもう会社が無くなりまししたがM橋梁の皆様、誠に有難うございました。仕事の中で九死に一生を得たことが有ります。雨天の日屋外作業中レッカー車のワイヤーが電線に触れ私は感電死するかと思い、母ちゃんごめんと思った瞬間1メートルぐらい飛ばされて命拾いしました。後で見ると電圧6千ボルトでした、これも母のお徳のお蔭かなと思わせて頂きます。そして、社員旅行の中でこんな言葉を目にしました。日常の五つの心、一、ハイと言う、素直なこころ。二、すいませんと言う、反省の心。三、私がしますと言う、奉仕の心。四、お蔭さまと言う、謙虚なこころ。五、有難うと言う、感謝の心。私、この五つの心の言葉に凄く感動し、人生のモットーとして行こうと決意しました。昭和39年母と離れて公団住宅1DKに住んで青春を謳歌、昭和42年親戚の叔母さんの紹介で妻とお見合い、私27歳妻23歳で結婚しました。43年長男、次の年には長女に恵まれ幸せ一杯の生活に問題が起こりました。5階に引っ越してきた奥さんと妻が親しくなり、佼成会に勧誘され入って良いかと聞かされましたが、私は新興宗教と思い大反対するもそれでも勧誘され、断り切れなくて12月に入会、子供がいなければ、離婚も考えるぐらいでした。翌年4810月私は念願の家を大阪に持つ事が出来ました。引っ越しをしても大阪教会の方が手取りに来られ、妻の教会参りが始まりましたが私は見向きもしませんでした。私は妻が活動の中、寒修行参りで妻と友人の奥さんの送り迎えをしていましたが、教会の2階に上がらず車の中で待っていました。51年、地区の会員さんの祈願供養の最後の日に、妻も私も朝寝坊をしてしまい、私は会社を休み、子供を送り出した後で妻に教会に送ってくれないかと頼まれ仕方なく送り帰ろうとすると、2階に上がってくれないと言われ、初めて教会の2階に上がり御本尊さまを拝ませて頂きました。その時、笑顔でよく来たねーと声を掛けて下さったように感じました。それから私の教会参りが始まり、今風に言えば私は御本尊さまに惚れました。そんな中525月元気だった母が体調悪く検査の結果末期の胃ガンとわかり、2回の手術をするも1ヶ月後6762歳で、苦労の多い人生に幕を閉じ、父のもとへと旅立ちました。それからの私は仕事をしながらも、活動に少しずつでるようになりました。平成6年に御本尊勧請のお手配を頂き大聖堂の御本尊さまを拝すると、今まで何をしていたのか!と、怒りの眼の様に感じました。その後15年、御守護尊神勧請、16年教師拝受、団参と、行くごとに優しい笑顔で迎えて下さるように感じました。今回の8月の団参は最高の笑顔でした。23年支部壮年部長のお役を頂き、部員皆様の支えご協力のお蔭さまでお役を務める中、心の中でずっとモヤモヤしている事がありました。それは、私は父の事をずっと恨んで来ておりました、と言うのは、父が34歳という若さで亡くなった後、残された30歳の母が4人の子供を育てるのにすごく苦労をしているのを見ていたので、同じ死ぬなら戦死していたら恩給がいただけたのにという心があったためです。私と同じ思いの壮年さんがご命日説法の中で、子供を残して早く亡くなった父は、どんな思い、苦しみだっただろう、申し訳ないとの説法を聞かせて頂き、私も父の思いを判らず恨んで来た事が申し訳なくなり、当時の河南支部長さんにお通しさせて頂くと、お父さんのお詫び供養をしなさいと言われ、1ヶ月間供養に入らせて頂きました。ご供養をさせて頂いているうちに、あの大阪大空襲の時、父がいたから命永らえて今の私があり、母一人ではどうなっていただろうかと、父の無念苦しみ痛みを判らせて頂く事ができました。今は言えます!おやじありがとうと。もう一つ、私は息子が中学生の時から他宗教に入り、子育て失敗で悩んでおりました。壮年部夜間練成法座の中で息子の事を発表させて頂くと、法座主の杉浦さまから『何も悩むことはないでしょ、信仰心があっていいじゃない』三部経二十七番の読誦修行に入りなさいと言われ、そういう捉え方があるんだと思わせて頂き、言われるまま素直に、一年間の読誦修行をする中で、とらわれも無くなり、息子との関係が少しずつ良くなり救われた気持ちになりました。今、息子も結婚し、アメリカで仕事をし、幸せに生活しております。壮年部長のお役をさせて頂いている中で、2510月から難聴のせいか、支部部長会議の中で聞き取りが難しくなり、支部への報告がしにくくなって、桑本支部長にお通し退任をお願いしましたが、部長会議にはどなたかに一緒に入って頂くのであと1年、頑張ってくださいと言われ、261月から月俟壮年部さんが入って下さりお役を全うする事が出来ました。月俟さんには私の退任後壮年部長のお役を引き継いでくださり、誠に有難うございます。私は新たに、聖壇担当のお役を頂き頑張って行きたいと思っております。説法のお蔭さまで、77年の人生を振り返りますと、人はひとりでは生きていけない、また父母のお蔭さまと多くの人たちが関わって頂いたお蔭さまで、今の自分があるとわからせて頂きました。最後に私を仏さまの道に導いてくれた妻の多栄ちゃんありがとう!今、万燈布教、真最中淀川支部一願となって布教に頑張っています。これから残された人生皆様と共に教会活動・支部活動・聖壇活動に精進することをお誓いいたします。合掌


                平成29年 開祖さま生誕会

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                  開祖さま生誕会 

                  平成29年11月15日(水) 

                  午前9時〜12時 大阪教会2階法座席 

                  ●式典内容

                  (8:45序奏 9:00開式)

                  ■本部インターネット中継

                   会長先生ご法話等

                  ■あいさつ:松本教会長 

                  ※式典終了後支部毎に法座があります。

                   立正佼成会を創立された開祖さまは、一九〇六(明治三十九)年十一月十五日、新潟県中魚沼郡十日町菅沼(現・十日町市菅沼)に生まれました。故郷・菅沼について開祖さまは、「神仏を中心として、大自然と人々の相互扶助の営みが一体となり、村全体が一家族のような世界をつくり出したところ」と語っています。その故郷で宗教的情操心や思いやりの心を培い、のちに立正佼成会を創立され、宗教協力の推進、人々の宗教心を育むことに生涯を捧げられました。「開祖さま生誕会」は、会員がそのお徳をかみしめ、報恩感謝を表す日です。

                  開祖さま生誕会文化祭

                  展示品:写真・書道・絵画・手芸その他多数展示

                  ◆期間:11月1日(水)〜11月15日(水)12時迄

                  ◆場所:大阪教会7F中央ロビー 


                  平成29年戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日

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                    平成29年8月15日(火) 

                    戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日式典

                    大阪教会 松本教会長講話(抜粋)

                     お参りいただきありがとうございます。

                    世界の情勢が毎日ニュースで報道されているわけですけれども、「今ほど真剣に平和を祈願しなければならない時はない」、というくらい大きな危機に直面しているのではないかと思います。万が一、アメリカと北朝鮮が争うようなことになったとすれば、日本は今まで中東で何かあった時と同じようなわけには地域的にもいかないように思いますし、安保法制が通っているわけですから、法律上も戦争に加担しなければならないという状況になってしまいます。平和を一番願われた開祖さまの弟子である私たちが今こそ真剣に祈願をさせていただき、平和への実践を決定させていただく時だと思います。そういう意味から今日の「平和祈願の式典」は非常に重要な意味を持っていると思うのです。かといってトランプ大統領に電話して「もしもし慎重に考えて下さい、過激な発言をしないように」と言うわけにはいきません。今私たちが出来る所で精一杯平和に向けての精神を高め、誓い、実践をさせていただきたいと思います。そんなことをもとに本日は、話をさせていただきたいと思います。

                     今日は日本各地で色々な宗教や宗派、国でも式典が行われております。普通、第二次世界大戦で亡くなられた方ーー310万人の日本人が戦火に倒れられた、全世界では明確な数はわからないが5千万人以上の人が犠牲になられたと推定されているーーそういう方々の慰霊をするわけですが、本会の式典は第二次世界大戦をはじめとする全ての戦争犠牲者、民間人を含めた全世界の戦争犠牲者に対して回向供養の誠を捧げ、あわせて世界平和を祈念するということを目的にしているのです。今日は日本人だけを慰霊したわけではありません。全世界の戦争で亡くなった方々、犠牲になられた方々、しかも第二次世界大戦だけでなく、人類の歴史はずーっと戦争を繰り返してきた、その全ての戦争で亡くなった方々の慰霊をさせていただいたわけであります。それには深い意味があります。戦争というのは大変悲惨な結果をもたらすわけですが、その原因というのは、どの戦争もつきつめると私たちの心の中にある、人と争う心、人を責める心、こういう心が原因となって全ての戦争、争いはおこっているわけですから、そう考えると第二次世界大戦だけでなく、すべての戦争犠牲者を慰霊することは、その争い・戦争の根本原因である私たちの心をしっかりと見つめて平和に向けての実践を一人一人が決意していこう、そういうような意味合いが込められているわけであります。なぜ戦争が起こるのかということを、しっかり踏まえて二度と戦争が起こらないようにすることを決意し、又戦争のない平和な世界であり続けるために努力精進することを誓う日であるということです。

                     先ほどは日本の国の大黒柱である壮年部さん、また未来永劫平和であり続けることを祈るという意味では青年部・学生部さんが、奉献、献撰のお役を勤めて下さったのは大変尊いことであったと思います。戦争は絶対しないという決意を未来に続けて欲しいという願いが込められた、尊い式典であったと思います。

                     2001年アメリカで9.11同時多発テロがありました。それがもとになってアフガニスタン、イラクの戦争が続けて起こりました。その当時会長先生は度々ご法話でこうおっしゃっておられました。戦争の原因というのは、私たちの心の中にある。前記の戦争・紛争をおこしたのは、私だと会長先生はおっしゃった、もちろん先生が直接原因で何かされたわけでない、しかし原因は私の心のなかにあるというご法話を何度か下さった。それは私たちの心の中には思う通りにならないと人を責める心や自分を否定されると腹がたつというそういう心がある。この自己中心の心が戦争の原因なんだということなんです。褒められると私たちは嬉しいです。いつまでもお若いですねーと言われると嬉しいけれど、随分シワが増えましたねーと言われると「あなたに言われたくないわー」とこういう気持ちになります。否定的なことを言われると瞬間カチンとくるわけですね。「あなたのやってる事は間違ってるよー」と言われると「何言ってんの、あなたこそ間違ってんじゃないか」と言いたくなってしまう。「あなたのやっている事は素晴らしいですね」と言われると「お陰様ですよ」、という気持ちになります。縁起観だから、人から否定されたり、思いと違うことを言われたり、また思う通りにならない“縁”があると人を責めたり、言いわけをしたり、相手を攻撃したくなる心が出てくる、腹も立ってくる。この自己中心の心が戦争の原因なんだ、私たちの中にもそういう何か否定されたときは攻撃してしまうような心がある。それが戦争の原因、それが大きくなると戦争にまでなってしまう、だから戦争の原因は自分の心の中にある。仏教では宇宙全体が私の心だというんです。地球上で起こることは全て私の心の中にあることがあらわれているんだということです。区別しないんです、あれはアフリカ、中東、アメリカ、北朝鮮の問題、あるいは政治家の問題と区別しない、すべて見るもの聞くもの地球上で起こることは、全部私の心の中にあることがあらわれてきてる、という受けとめ方が仏教の考え方なんです。非常に深いんですよ、だから人のせいには出来ないし傍観者でいてはいけない、あの国は大変だなー、ここは涼しくていいわーなんて、おいしいものばかり食べながら客観的に見ていてはいけない。仏教徒は問題が出てきたときに、私の中にその原因があるとすれば何なのだろと、当事者意識をもって、傍観者でなく私の問題だと受けとめるのです。「私に原因がある問題だ」「私の心を教えて下さっている」というふうに思えば祈ることだって出来ます。今日は平和祈願の日、祈願することが出来る。関係ないと思えば全然関係ないが、仏教徒の私たちは世界中で起こることは私の問題だと受けとめていく。全て自分と教えていただくけれど、そういう心境になっていくことを教えていただいているわけです。会長先生は戦争が起こっても私の心だ、私が起こしたとおっしゃっているのはそういうことであります。私たちの心を変え改めない限り戦争はなくならないということであります。自分は絶対に正しい、だから自分の言う事を聞かない人は悪い人だと決めつけ、対立し責めるということはよくあります。例えば夫婦で買い物にいって品物を買うとき、私は安いほうがいい、家内はちょっといいものの方が長持ちするというふうにお互いが絶対正しいと思っている。買い物一つでもどっちかが折れて安いもの買った、あるいは高いものを買ったとしても後々で何かがあると、高いもの買ってもすぐこうなっている、とか安いもの買ったからこうなっているとか、後々尾をひきますよね。自分が正しいと思っているからその通りしないことは悪いことだと決めつけて、どこかで対立し、その時はまぁーまぁーで、折れてるみたいだけれども尾を引いて残ってしまっているということは家庭の中でもよくあることです。あるいは自分さえ得すれば良いと嘘を言ったり、ごまかしたりして利益を得ようとするそんなこともよくあります。子供の時なども親にこれが絶対必要で学校で皆が持っているんだといいながら、クラスで4〜5人しか持ってないものを買ってもらったりしたこともありますし・・等々。皆さんはそんなことはありませんか?誤魔化してでも自分が得をしたり利益を得たい、これもやっぱり自己中心な気持ですよね。

                     学生生活では、友人を虐めるのは絶対にいいことではない、自分が虐められたら嫌なことは決まっているわけだから、人を仲間外れにしたりいじめることは絶対悪いことだと、頭の上ではわかって皆知っていても集団心理でしょうか、いつ自分が虐められる側になるかわからないと思うとやはり虐める側に入って、そしてその子を傷つけてしまうということもおうおうにしてあるわけです。大人になってもあることかもしれません。わがままだとかこういう事情だからしかたがないだとか自分を正当化して言いわけをするという心は全て自己中心から起こる心で、そういう心が大きくなっていくと、戦争になるまでになってしまうということです。その戦争につながるような自己中心な心、危険な心は他に害を与えると同時に自らも傷つけます。自己中心な危険な心、他を攻撃する心、自分を守って他をみんな悪者にしてしまう心を、丸い心にして下さるのが佼成会の教えなんです。丸い心の人が世界、日本中に増えていけば戦争はなくなる、私たちのまわりから争いはなくなっていくでしょう。

                     今日の式典の回向文の中で会長先生は、「恨みは恨みによって止むことなく、ただ慈悲によって止む。これは永遠の真実である」という法句経の言葉と「危険をおかしてまで武装するよりもむしろ平和のために危険をおかすべきである」という開祖さまが国連軍縮特別総会で演説された内容を引用されて、私たち個人にとっても、これは大きな意味をもつ言葉なんだと教えて下さいました。恨みは恨みによってやむことはない—許せなかった人を許せないままで恨んだままいるのか、憎んだ人を憎んだままいるのか!もちろん憎むようなこと恨むようなことをされたから、責めたくなるようなことをされたから責める気持になるわけです。でも恨んだままでいたら無くなることはない、慈悲によってのみそれはやむんだ。慈悲の心で、恨むようなことをされた相手にそういうことをせざるを得なかった何か元がその人にもあったのだろう、人に恨まれていい気持になる人はいない、感謝されたり良く思われたいのが人の気持ちだ、だけどそうせざるを得ない事情があったのかもしれない。因縁や育った環境があったのかもしれない・・・その人の事情を考えると許していこう・・・恨んでいる人を許していこう・・・という心が持てるか・・・拝めない人を拝めるような心が持てるか・・そういう相手に対して懺悔・感謝を伝える実践ができるか・・・危険をおかして武装するよりも、むしろ平和のために危険をおかすべきである!なかなか懺悔をするとか感謝を伝えるということは、否定したい相手であればあるほどできないことですが、この実践こそ危険を冒すという言葉につながることかもしれません。許す、拝むということをさせていただくことが開祖さまが、「危険をおかしても武装するよりむしろ平和のために危険をおかすべきである」とおっしゃって下さった、私たちの身近な実践であるのではないかと思わせていただきます。自己を正当化して言いわけをする自分が正しいと嘘をいう、そして憎み恨み続けるという心は武装ともいえるわけです。そういう気持ちをなくして、人を許す心、拝む心、今日はそんなことをそれぞれ、お誓いさせていただきたいと思います。許せない人を許してみましょう!拝めない人を拝んでいきましょう!今まで懺悔できなかったことを懺悔していきましょう!そんな実践をさせていただくことが、今日の平和祈願にふさわしい実践のありかたではないかと思わせていただきます。皆様のご参拝に重ねて感謝申し上げまして、今日のお役にかえさせて頂きたいと思います、皆様どうもありがとうございました。 合掌      

                    (文責:大阪教会IT委員会)


                    平成29年10月 松本教会長のことば

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                       みなさんこんにちは。ひと雨ごとに気温が下がり、秋を感じる季節となりましたが、お元気にお過ごしでしょうか?先月は脇祖さま報恩会、今月は開祖さま入寂会、来月は開祖さま生誕会と両祖さまへの報恩感謝を深める3ヶ月の2ヶ月目を迎えさせていただきます。今月は特に、開祖さまがご入寂なされた月です。開祖さまへの感謝を表す「報恩感謝の布教」に引き続き取り組んで参りたいと思います。

                      さて、今月は、会長先生より「『苦悩』と『苦労』」というテーマでご法話を頂戴しました。私たちは「苦悩」も「苦労」も出来るだけ味わいたくないと考えがちですが、実はそれが仏道を修行するものにとって大事な経験であるとご指導くださいました。では誰でも持ち合わせる「苦悩」は、私たちにとってどのように大事なのでしょうか。会長先生は、開祖さまが次女羌子さんの病がご縁となり、法華経との出会いにつながった例をあげ、「悩むからこそ、いろいろな教えを求め、どう生きることが大切なのかを真剣に考える」とお示しくださり、「悩めばこそ向上があり、悩むことは人間にとって大事な経験である」とご指導くださいました。しかし、それは経験してみないと分からないものです。悩みをとにかく避けていこうという消極的な姿勢ではなく、悩めばこそ向上もあり、自分の器が広がるのだという気構えで日々を過ごして参りたいものです。それでは、その悩みを悩みで終わらせず、「大事な経験」と受け取れるようになるには何が大切なのでしょうか。私は会長先生から「悩みのどん底にいるときは長いトンネルの真ん中にいるようなものです。明かりも見えず、どちらに進んだらいいのかも分からず、不安な心で一杯になります。そんな時こそ、どちらの方向でもいいから動いてみることです。動いていけば必ず出口は見えてくるのです」とご指導を頂いたことがあります。悩んでいるときは止まっているときであり、それを一歩前に進める「動き」、つまり苦労の「労(つとめや仕事の骨折り)」をしてこそ得難き経験となるのです。そのことを開祖さまが会員さんにご指導された様子として『開祖さまに倣いて』の中で光弔気泙このように紹介してくださっています。「あるご夫妻がいました。奥さんが白血病と診断された直後、そのおなかに命が授かりました。嬉しいことのはずなのに、無事に子どもが育つのか、また、出産すれば奥さんの生命も危ないという不安のなか、ご夫妻二人で開祖さまにご指導を頂きました。『まず人さまの幸せを念じなさい。同じような境遇の人たちに、仏さまの教えを夫婦でお伝えすることですよ』悩み苦しみのあるままで、人さまの幸せを願って生きていく。なかなか考えられることではありません。けれども開祖さまは、欠けることのない幸せを見いだし、満たされて生きる生き方を教えてくださったのです。」さらに会長先生はご法話の中で「『悩んでいるときには、同じような悩みを持つ人の声を聞かせていただこう』と人さまのために労をいとわず動くことが「苦悩」を「苦労」に変える秘訣である。」教えてくださっています。つまり、私たちがさせて頂く「苦労」とは菩薩行であり、人さまに法を伝える布教であります。釈尊は布教伝道に邁進された「大いなる苦労人」と会長先生から教えていただきました。さらに開祖さまも私たちのために労をいとわず法を説き続けてくださった「偉大な苦労人」であります。開祖さまご入寂の今月、開祖さまのご生涯を改めて受けとめ、私たちも布教に邁進できる「苦労人」にならせて頂くべく精進いたしましょう。合掌



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